
愛知県(三河茶)平安時代の中期に編纂したと伝えられる「本朝文粋」の巻10の文中に「参河碧海部有一道場、日薬王寺……有茶園・有薬園」とあり、古くから三河の地 で茶が栽培され始め、三河山間部を始め豊橋・新城・西尾・豊田市などへ広ま った。現在全国的には13位にあり、このうち三河地方で95%が生産されて いる。特に新城市は県下の20%余を占め最も多く「三河しんしろ茶」として 銘柄を確立。 西尾市・吉良町では、てん茶の生産を主体としており、全国一を誇っている。
茨城県(奥久慈茶・猿島茶)茨城県の茶は、わが国北限の経済栽培地で、古くから地域の特産物となっている。この地方の茶は猿島茶として知られる。久慈川上流域での茶の栽培が最 も古く、慶長6年(1601年)左貫の石附兵次が京都より茶種子を持ち帰り 西福寺の境内にまいたのが始まりとされる。
鹿児島県(かごしま茶)その昔平家の落人が、日置郡阿多村白川で茶を始めたとされる。その後島津藩の保護奨励策によって県内に広く普及。明治10年(1877年)には私立 の紅茶伝習所が設けられ、中期に至って県下各地に模範茶園と緑茶伝習所が開 設。鹿児島県は、現在静岡県に次ぐ生産量を誇る大産地を形成しており、茶栽 培は県下一円。
京都府(宇治茶)宇治茶の起こりは、栂尾高山寺の明恵上人(別項)が栄西禅師から分与された茶種子を、高山寺をはじめ宇治の地にまいたのが、宇治茶の中心となって栄 える機縁となり、やがて周辺へ広まったとされる。 足利義満は、宇治茶の特に優れた点を認め自ら茶園を栽培させ、宇治茶の名 声が世にあらわれる端緒となった。 元文3年(1738年)山城の永谷宗円が、これまでのてん茶や釜炒り製の 黒茶に加えて、青製の湯蒸し製法を創案し、今日の緑茶の元となっている。ま た、天保6年(1835年)山本嘉兵衛がわが国では初の玉露の製法を考案し た。 現在の生産状況をみると、わが国第5位にあるが、玉露・てん茶の生産量が 高い。
岐阜県(美濃茶)美濃茶は、古くは山茶を利用した釜炒り製の黒茶が揖斐郡池田町や武儀郡上之保村あたりで作られ、信州・越後などに売られていた記憶がみられる。恵那 ・白川・いび茶とそれぞれ特有のさわやかな香気と甘味の強い美濃茶として定 評。
熊本県(肥後茶)熊本県の茶の生産は、慶長年間(1596〜1614年)に、藩主加藤清正が、山茶を年貢として納めることを認め、茶の生産を奨励したのが始まりとい われる。 元禄年間には、肥後と日向の国境番所役人が、矢部馬見原付近の茶の品質を 賞讃し「青柳」と命名したことから「青柳茶」の名がおこったという。県下の 茶園面積は、現在わが国の第5位。
埼玉県(狭山茶)狭山茶として知られている埼玉県産茶は、鎌倉時代(800年前)に明恵上人が、武蔵河越の地に茶の種子をまいたことに始まるとされる。 横浜開港により輸出茶として大きく伸展。 現在の栽培面積は全国第4位。狭山茶は、味はソフトで、渋味の中にも甘味 の強いことが特徴。
佐賀県(嬉野茶)佐賀県の茶業の歴史は古く、約800年前栄西禅師が中国から種子を持ち帰り、背振山麓にまいたのが始まりとされる。 嬉野茶のおこりは、永享12年(1440年)嬉野皿屋谷に入った明の陶工 らが、自家用茶の生産を始め、永正1年(1504年)明人の紅令民が南京釜 による釜炒茶の製法を伝えたのが始まり。 産業化されたのは、1650年もと白石郷の吉村新兵衛が不動山一帯に茶畑 をひらき製法にも工夫をこらし奨励したことからである。 荒茶生産量は、全国順位では8位、茶種別では玉緑茶が70%余と主流。
滋賀県(近江茶)滋賀県の茶の歴史は、わが国茶業の創始とも考えられる。茶に関する文献中、最も古い記録に、僧最澄(伝教大師)が、延歴24年( 805年)中国から種子を持ち帰り比叡山麓に植えたとあり、その茶園は現在 も大津市坂本の日吉神社の一隅に存在している。 高級煎茶を中心に生産。中でも信楽町の朝宮茶は、香気の高い産地として定 評がある。
静岡県(静岡茶)静岡茶の起源は、鎌倉時代栄西禅師よりやや後になって駿河国栃沢(静岡市郊外、旧安倍郡大川村)に生まれた聖一国師(1202〜1280年)が中国 (宋)に留学し、帰朝の際茶の種子を持ち帰り、出生地に近い足久保にまいた のがはじまり。なお一説には同時代、興津(清水市)の清見寺の家叟禅師が、 明恵上人から茶種を譲り受け、寺内にまいたのがはじまりとも伝えられている。 戦国時代には、足久保を中心に安倍茶としての生産があり、駿府に在城した 徳川家康に年々御用茶を納めた記録が残っている。また元禄の頃には御用煎茶 として数百貫を江戸幕府に納めている。 明治期に入り、徳川藩士や大井川の川越人足などの入植による大規模な牧之 原茶園の開拓が行われ、立地条件のよいこともあって、わが国最大の茶産地と しての基盤が築かれた。明治末期には杉山彦三郎翁による「やぶきた」の選抜 育成により、生産性および品質向上がはかられた。 わが国茶の一大集散地として、荒茶流通量は全国生産量の70%近くを占め 全国各地へ出荷されている。
長崎県(彼杵茶)長崎県の茶の歴史は、佐賀県とともに古く1191年に栄西禅師が中国(宋)から茶の種子を持ち帰り、平戸島へまいたものが起源。 東彼杵町での茶の栽培は、土地の名主川尻藤太夫が江戸からの帰途宇治より 茶の種子を持ち帰りまいたのが、この地方へ広がりをみせた。 この地は明治期長崎港から輸出された「かまいり茶」の主産地として、早く からその名が知られていた。
奈良県(大和茶)奈良県の茶業の起源は、大同元年(806年)空海が唐より茶の種子を持ち帰り、宇陀郡榛原町内牧にまき、茶の製法を伝えるとともにその際持ち帰った 茶臼が赤埴の仏隆寺に保存されていたが、現在は奈良博物館に陳列されている。 同寺境内には「苔の園」として茶樹が保存されたようであり、これが大和茶の 始まりとされる。 県下の生産量。わが国の5位を占めており、良質煎茶として、特に香気と味 が優れている。
福岡県(八女茶)栄西禅師が宋より茶の種子を持ち帰り、背振山にまいたことがこの地方の茶業の始まりだが、これより約230年後応永30年(1423年)周瑞禅師が 明より同じく茶の種子を持ち帰り、笠原(黒木町)にまいたのが八女茶の発祥。 生産量はわが国では9位にあたる。玉露の生産量では全国の半数を占め第1 位である。
三重県(伊勢茶)伊勢茶は千年の歴史を誇るとされ、延喜年間(901〜922年)飯盛山浄林寺(現水沢町一乗寺)住職玄庵が、空海直伝の製茶法を伝承し、茶樹を栽培 したと伝えられる。また、明恵上人(高弁)が、伊勢上川に分植したとの記録 もある。明治期に入り、横浜開港による輸出の重要産物になるにおよび、大谷 嘉兵衛らの横浜での売り込みへの尽力により大きく発展した。 生産量は全国第3位。
宮崎県(日向茶)1600年代に入ってからで、貞享4年(1687年)茶が税として物納されたことがみられ、宝暦7年(1757年)都城市の池田貞起が時の桃園天皇 に製茶を献上し、その時下賜された茶碗が現存されている。 県下の荒茶生産量は第4位を占める。 |